プロフィール

基本情報


北陸出身、アラサー女性のあらきです。

旧帝大工学部情報系コースを卒業後、プログラマーとして東京の独立系SIer企業で5年間働いていましたが、現在は地元で家業を手伝いながらの自分探し中。

趣味は、インターネット閲覧ウィンドーショッピングかわいいものを眺めること食べること

思い立ったらすぐ行動してしまうタイプで、現在はヴァイオリン(2016年4月~)・料理教室(2017年5月~)・エステ(2017年10月~)などに通って「自分磨き」頑張り中!

素敵なご縁があり、2017年8月に結婚しました。
それを機に「地に足つけて、自分の好きなことして生活できるようになりたい」と思い、最近はデザインウェブマーケティングの勉強をしています。

近い将来、地元に帰る予定。
田舎であまり進んでいない、学びやワークショップの場、Web系のお仕事などを開拓するのが夢。

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経歴の詳細

幼児期

とある田舎の自営業の家に生まれた私は、過保護に、でも愛情たっぷりに育てられました。
3歳のころまで、頑固であまりしゃべらず、「お名前は?」と話しかけても「おなまえ。」といったような、オウム返しをするような子供だったそうです。

心配になった親は病院に連れて行ったところ、「自閉症」と診断されたそうです。
しかし、日常生活に支障をきたすレベルではなかったため、特に特別支援学校などには入らず、普通の子供と同じように育ちました。

ただ、今でも、一つのことにしか集中できない決まった手順ででしか物事を進められない予想外の出来事が発生するとパニックになる、などにその傾向がみられるのかな、と思います。

小~中学時代

そんな私が小学校中学年のときに出会った「インターネット」は、私の人生を変えました。
好きなゲームのファンサイトに入り浸っては書き込みし、他の人の投稿にニヤニヤし、二次創作絵にときめいた。
まぁ、いわゆるオタクとなってしまったのです。
その熱中ぶりのおかげで、電話代がものすごいことになり(まだダイアルアップ接続の時代だったため)、家族会議になるほどだったそうです(笑)

中学生になると、自分でhtmlを勉強し、ホームページを作成・公開していました。
趣味だったイラストを描いては投稿していましたね。
自分の書いたアニメやゲームの感想日記(当時はブログとは言わなかったのです)や絵についてのコメントがたまーにBBSに書き込まれると、とっても嬉しかった。

共通の話題で自分のペースで話せる「インターネット」は、コミュニケーションをとるのが苦手な私にとって、とても魅力的なものでした。

「こんな素晴らしいインターネットの仕組みについてもっと知りたい」
そんな理由から、将来は工学部に進んでエンジニアになり、IT企業に勤めるのが目標となっていました。

私はいわゆる「優等生」タイプだった

ルールを守る、親や先生の言う通りに行動するのは、私にとっては絶対的なものであり当たり前のことでした。

教育熱心だった母親は、昔から私に、

「福利厚生のしっかりした、公務員や大手企業に就職しなさい」
「そのためには、いい高校、いい大学に進むのが大事だから、勉強をがんばりなさい」

と、口を酸っぱくして言い続けていました。
おそらく、自営業の家に嫁いできた母なりに苦労をしてきたのだと思います。

そんな母の期待に応えたくて、テストでは常に学年5位以内をキープ。

吹奏楽部の部長や生徒会長もやり、このころの私は抜群に輝いていました。

高校時代

漫画研究部があるということで期待に胸を膨らませた高校でしたが、実際はほぼ部員なし。
クラスメイトは「リア充」ばかりであり、私はなじめなかった。

当時の私は、母親の言葉通り「いい大学に行けさえすれば、いい友達ができて、大手企業に就職できる」と信じ込んでいました。

遊びはほどほどに、大学入試勉強に没頭。
その意固地な努力もあり、旧帝大と言われている大学の工学部に進学できました。

大学時代

初めての一人暮らし。
そこで待っていたのは、すべてが自由で開放的な大学生活と、都会の誘惑。

いままで張りつめていた糸がプツンと切れたかのように、私は「大学デビュー」を果たしました。

初めて「リア充系の女子グループ」に入れて、舞い上がっていたというのもあると思います。
音楽サークルに入り、コンビニでバイトをし、洋服を買いあさっていました。

ただし、授業にはちゃんと出席していました。
「大学生デビュー」はしましたが、これまでの「優等生」キャラを崩せるほどの勇気はありませんでした。


そんな楽しい大学生活もあっという間にすぎ、4年生になり、画像処理・画像認識・パターン認識などを取り扱う研究室に配属されました。
その研究室を志望したのは、「絵を描いていたから、画像に興味がある」「Photoshopの画像処理機能に感動したから」という、何とも単純明快な理由でした。

一方でそのころ、私の中で「勉強は好きだけど、どうも実験や研究は苦手だ。」というモヤモヤしたものがありました。

「大学院は研究をするところ」という話は聞いていましたが、「理系は大学院にいかないと就職できない」という世論をこれまでのように当たり前に受け入れ、周りに流され、私は大学院入試を受けます。

初めての、挫折

大学院入試当日、問題用紙を見た瞬間、頭が真っ白になりました。


“これまで勉強してきたことと全然違う”


ちょうどその年の試験は、過去問から傾向が全く変わっており、「予想外のことに対応できない」特徴を持つ私は、完全にパニックに陥ってしまったのでした。

あの時の感覚は、今でもはっきりと覚えています。



ぐるぐるぐる。

どうしよう、全然問題文が頭に入ってこない。

暑い。息苦しい。助けて。



試験時間の3時間が、恐ろしく長く感じられました。
解答用紙は、ほぼ白紙。
ここで私は人生初めての挫折を経験しました。

学んだことは、「道具」として使いこなせないと意味がないんだ。


「ルールを守る」「親や先生の言うことを聞く」ことは偉いことでもなんでもなく、何も考えていないことと一緒。


勉強は「入試を突破するためのもの」でないんだ。


もう私は、レールを外れてしまった。


これからの人生、どうすればいいんだ?


これまでの生き方を完全に否定された私は、途方にくれました。

夢が叶ったはずなのに

結局、大学院進学はしませんでした。

その代わり就活をし、「学歴」と「画像処理分野の研究経験」を買われ、現在の会社に拾ってもらいました。


それから数年がたちます。

現在の会社は、とてもいい会社です。
残業代もちゃんと支払われますし、福利厚生もしっかりしています。

社風や、社員の人間性もとても私に合っているのですが、やはりこの選択も
「せっかく学んできたんだからIT企業」という安易なものだったなと感じています。

入社当初は、これまでの優等生キャラを発揮して上司に気に入られ、新人に任されやすい「仕様書通りのコーディング」については十分活躍できていました。

しかし、やはり年数がたつにつれ「自分から提案する」「研究開発をする」に突入すると、途端に頭が真っ白になり、無能になってしまいました。

これらのことから、
①「興味のあること」
②「自分でやりたいこと」
③「自分でできること」

はそれぞれ全然違う、ということが、よくわかりました。

①は、インプットしたいこと。
②は、アウトプットもしたいこと。
③は、したいだけじゃなく、アウトプットが実際にできること。

①で仕事を選ぶと、いつか限界が来ます。

私が「IT企業」や「画像処理」に抱いていたモチベーションは、明らかに①でした。


人生の転機とこれから

またしてもモヤモヤした気持ちで日々を過ごすことになるのですが、こんな時に今の旦那さんと出会い、「家族」になりました。

独身だったら、仕事ができなくて困るのは自分だけだけど、家族がいるんだったらそうは言ってられない。
自信を持って取り組めない仕事は嫌だと、感じるようになりました。


そこで、今までの人生を振り返ったときに、中学時代に熱中していた「ホームページ作成」は自分からアウトプットできていたし、とても楽しい、と感じたんですよね。

また、「経験したこと、感じたこと、学んだことを文章にする」ということは、ブログや日記として、何かしらの形で続いていた。

そしてそれを生かした仕事としては、「Webデザイナー」や「ブロガー」しかないのでは、と考え、2017年からそれらの勉強や講座への参加、制作などを始めました。


もう年齢も年齢ですし、今まで「優等生キャラ」で生きてきて、正直なところ、親や世間が推奨する道ではないことに、罪悪感や不安を感じます。

実際、安定志向の親は「そんな、退職金も年金も出ないような職業はダメ!!」と猛反対中(笑)


でも、今度こそは、自分から積極的にアイディアを出せて、自分が本当にできることを、自分の頭で考えてやりたい。

そして、アウトプットを意識した勉強の大切さと、それを生かすことの楽しさを、このブログを通して、私自身も成長しながら伝えていけたらな、と思っています。